最も大切なことは、自分がその相手から闻くべきことを知っておくことである。これはあまりにも当たり前のことで、人に话を闻こうとする场合の当然の前提だから、とりたてて注意を払うべきことではないと思われるかもしれない。しかし、私にいわせれば、これ以上に本质的に大切なことは何もなく、あとは大部分が锁末な(注1)テクニック论である。
「问题を正しくたてられたら、答えを半分见い出したも同然。」
とよくいわれる。これはまったく( ① )。同様に、闻き取りに际しても、闻くべきことがわかっていれば、半分闻き出したも同然なのである。
最近私は、人に取材するばかりでなく、人から取材されることも结构多くなった。②それでわかったことは、自分で何を闻くべきかが充分わかっていないで人にものを闻く人间がいかに多いかである。
「いかがですか?」 「ご感想をちょっと ........」
と水を向ける(注2)だけで、相手が何かまとまりのあることを当然にしゃべってくれるものだと思い込んでいるおめでたいジャーナリストがあまりにも多いのだ。まるで③こちらがラジオかテレビのような机械で、「きっかけの一言」というスイッチを入れると、あとは自动的に番组が流れ出てくるものとでも思っているかのようだ。
こういう人が多くなったのも、④テレビの悪影响だろうと思う。テレビのインタビユーというと、実际、一言水を向けるだけで、べらべらまくしたてる人が大部分なのだ。世の中にはしゃべりたがりの人が多いのも现実だが、テレビの场合は、编集をしたり、事前の打ち合わせをしたりしているから、しゃべたがりでない人もしゃべりたがりのように见えてしまう。私にしても、ほんとは非常に无口の人间なのだが、テレビを通してしか知らない人はよくしゃべる男と思っていることだろう。
そう思い込んでいる人がジャーナリストの中にもいて、そういう人が私を电话取材すると⑤妙なることになる。
「○○について、ちょっとご感想をうかがいたいですが」
「はい」
といったまま私は黙っている。先方は、それだけで当然私がしゃべり出すのだろうと思って、やはり黙って待っている。しばらく奇妙な沈黙がつづく。やがて、先方がどうもスイッチがちゃんと入っていないらしいと考えたのか、⑥もう一度スイッチを入れ直す。
「○○について、ちょっと感想をうかがいたいんですが」
「はい。どうぞ」
と私は答える。「どうぞ」といわれてはじめて先方は、水を向けただけでは足りなくて、なにか质问をしなければいけないのだということに気がつく。(中略)
安易な问い方をし、それに安易に答え、その安易な答えに満足して问答を终わるという最近のテレビ*インタビユ-的风潮に私は反発しているので、いいかげんな质问者にはわざと意気悪く质问を返し続けることがよくある。はじめの问いがいいかげんでも、自分の中に问うべきものをしっかり持っている人は、质问を返されたときすぐにきちんとした质问で切り返すことができるものである。しかし、それを持たない人はまともな质问がついにできない。